2024年4月発行わんわん通信No41コラム
犬との別れ
今年は年明けから譲渡した犬の訃報が続きました。大部から見れば、どの犬もそれぞれの環境で大切に愛されて天寿を全うしていますが、お別れの寂しさの中で里親さんから、「この子がうちにきてくれてとても幸せだったけど、この子はうちに来て幸せだったのかなあ。」ということばを聞くことも多く、改めて考えさせられました。
犬がこの家に来て幸せだ、と思える家ってどんな家でしょう。家族が多い家?お留守番時間が短い家?高度な医療を受けられる家?先住犬がいなくて愛情をひとりじめできる家?自然豊かな環境の家?
犬部も譲渡の際にはお願いするたくさんの条件があります。でもそれは主に犬の健康と安全を守るための条件です。犬部が考える犬の幸せは、飼い主が犬の健康と安全をしっかりと守って天寿を全うさせてくれること。その上で家族として終生愛してくれることです。
でもこの「家族として愛する」ということは、犬が何一つストレスや不自由を被らないように、人間が我慢したり犠牲を払うことではありません。人間の家族を考えれば、愛しあっているからといって何もストレスや不自由がない家族など存在しないでしょう。家族であるということは、当然他の家族や環境の影響を受けます。それはうれしいこともあれば、辛いこともあり、淋しいこともあるでしょう。そういうことをその家その家の家族が折り合わせながら、問題があったら解決しながら暮らしていくことが「家族として愛する」ということであり、「幸せ」なのではないかと思うのです。
そして当の犬は、「前の飼い主の方がよかった」とか、「隣の家の犬だったらなあ」等と思うことはおそらくありません。今の飼い主、今の環境が全てで、その中で喜んだり甘えたり、怒ったり要求したり、弱ったり年老いたりして生活をしていることが、犬の「今」、犬の「リアル」です。それぞれの家族の中で、犬もその家族の空気を吸って生きるのを、最期まで可愛がって見届けること。それは犬にとっての最高の幸せだと胸を張ってほしいと思います。
特に「保護犬」と言うと、“辛い思いをしてきたかわいそうな犬”とか“人間不信が根強い難しい犬”というイメージが強くて、過保護にしたり腫れ物にさわるようにしたりしがちです。もちろん中には、強い人間不信を抱えて容易に触らせない犬もいます。フードを満足にもらえなかったために異常に食に執着する犬や、全く関わってもらえなかったために無関心・無感情な犬もいます。でも、これまでの経験上多くの犬は、“この過酷な環境でよくも”と思うほど屈託なく、新たな環境への順応も早いと感じます。それは犬が「今」を生きて「今の環境」に適応しようとしているからでしょう。そこに「かわいそう」とか「人間不信だろう」という推測は不要ではないでしょうか?子犬から飼った犬でも、成犬で迎えた保護犬でも、飼い主の方も「今」の犬をしっかりと見て、お互いに無理なく生活できる「今」を重ねていくことができたら、お互いに充分ハッピーです。そのこと信じて、別れの寂しさもまたいつか、その犬と暮らした幸せの一部だと思える日がくるといいな、と願っています。